ジャッジしないとは、自分を自由にすること。
これがわかると
自分をいちばんやさしく扱う生き方ができるようになります。
誰かをジャッジしている時、
実はその矢印は、他人ではなく自分に向いています。
「こうあるべき」「ああすべき」と思うたびに、自分の中にも縛りが生まれてしまうんです。
ジャッジとは、世界を区切る行為。
正しい・間違い、優れている・劣っている。
けれど、世界はそんなに単純ではありません。
人も出来事も、どこを切り取るかで
まったく違う顔を見せるものです。
科学的に見れば、脳は常に安全を保つために判断(ジャッジ)を繰り返しています。
でも、その自動反応に支配されると、
理解よりも防御で生きるようになってしまう。
感覚的にいえば、ジャッジは世界に線を引くようなもの。
その線を引いた瞬間、自分もまた、線の中に閉じ込められます。
だからこそ、ジャッジしないとは、
相手を許すことでも、善悪を曖昧にすることでもなく、自分をその線の外へ出すこと。
誰かを解放するようでいて、
実は自分をいちばん自由にする行為なんです。
評価よりも、観察を。
批判よりも、理解を。
その視点を選んだ瞬間、
心は驚くほど軽くなります。
自由とは、他人を裁かないところから始まる。
そしてそれは、
自分をいちばんやさしく扱う生き方でもあるんです。


コメント