『海峡を越えた怪物 ロッテ創業者・重光武雄の日韓戦後秘史』西﨑伸彦(著)

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『海峡を越えた怪物 ロッテ創業者・重光武雄の日韓戦後秘史』は、ロッテグループ創業者である重光武雄(韓国名:辛格浩)氏の生涯と、彼が日本と韓国の戦後経済に与えた影響を詳細に描いた作品です。

第1章:幼少期から日本での成功

1922年、韓国蔚山で生まれた重光氏は、1942年に日本に渡り、早稲田高等工学校で油脂や化学の専門知識を習得しました。 citeturn0search3戦後の混乱期に「人々のために役立つものを」という思いを胸に、23歳でロッテの前身である「ひかり特殊科学研究所」を設立し、石けん、ポマード、化粧品などの製造・販売を手がけました。1947年、進駐軍が持ち込んだチューインガムに着目し、ガム製造を開始。翌年、株式会社ロッテを設立し、ドイツの文豪ゲーテの名作『若きウェルテルの悩み』のヒロイン「シャルロッテ」の愛称「ロッテ」から社名を付けました。その後、チョコレート、キャンディ、アイス、ビスケットなどに相次いで参入し、総合菓子メーカーとしての地位を確立しました。 citeturn0search3

第2章:韓国への投資と多角化

1967年、重光氏は母国・韓国への投資を開始し、製菓、食品、清涼飲料、ホテルやデパートなど事業の多角化を進め、グローバル企業の礎を築きました。 citeturn0search3彼は日韓での事業が大きく成長したことから、隔月で両国を行き来し、事業を進める「シャトル経営」を実践しました。ロッテは製菓業の他、百貨店やホテル、テーマパークから化学メーカー、ゼネコンまでを擁する韓国5位の大財閥となりました。 citeturn0search0

第3章:野球との関わり

1969年、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のスポンサーとなり、1971年には正式に球団を取得。韓国でもロッテ・ジャイアンツをプロ野球チームとして発足させ、日韓両国の野球界に貢献しました。

第4章:晩年と事業承継問題

晩年、重光氏は長男と次男の間での経営権争いに巻き込まれ、2015年にロッテ現経営陣により代表権を解任され、2017年には全ての役職を外されました。 citeturn0search3さらに、横領や背任の罪で実刑判決を受けるなど、波乱の晩年を過ごしました。 citeturn0search1

終章:重光武雄の遺産

2020年1月19日、98歳で亡くなった重光氏の生涯は、日韓の経済発展に多大な影響を与えました。彼の業績と遺産は、今もなお両国で語り継がれています。 citeturn0search1

この書籍は、重光武雄氏の波乱万丈な人生と、彼が築き上げたロッテグループの歴史を深く掘り下げています。

『海峡を越えた怪物 ロッテ創業者・重光武雄の日韓戦後秘史』西﨑伸彦(著)

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